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東求堂(とうぐどう)

雨楽な家は、数寄屋造りの考えを基本としていますが、もともと、数寄屋造りは、書院造から、身分とか形式とかゆう格式ばったものを取り除き自由な空間をつくりあげたもの...ということなので、書院造の原点である、銀閣寺「東求堂」に触れてみたいと思います。

東求堂とは、京都市左京区の慈照寺(銀閣寺)にある持仏堂のことです。足利義政が1482年に造営を始めた東山山荘内の建物。銀閣とともに室町時代の貴重な遺構です。3.5間、一重入母屋造り、柿(こけら)葺きの小書院建築です。蓮池を前にして建ち、仏間には阿弥陀三尊が安置されています。東求堂のすごいところは、その後の日本文化に多大な影響を及ぼしたということです。堂内は4つの部屋に区切られていて、その中でも同仁斎(どうじんさい)と呼ばれる4畳半の部屋は書院造の原形とされ、現在の和風建築へとつながる重要な遺構となっています。内部は装飾品を置く「違棚(ちがいだな)」と読み書きを行うための「付書院(つけしょいん)」が設置され、ここから華道や茶道と言った日本を代表するような文化が生まれていきました。後の書院造の典型とされる「床の間」はまだありませんが、障子を開けると外の景色が切り取られ、まるで掛け軸のように見えるという仕掛けになっています。四季折々の風景をそのまま掛け軸にするという、なんとも贅沢なアイデアが取られています。

ここで、東求堂(とうぐどう)の名前の由来を話しておきます、仏教の言葉に「東方の人、仏を念じて西方に生まれんことを求む」から、東の者が西方浄土を求める持仏堂というような意味で「東求堂」と命名したそうです。...

...東求堂が好きで、何回も拝観していますが、同仁斎からは、言われているような書院造の格式ばったものは全く感じられません、書院造が格式ばってきたのは、その後の時代からなんでしょう...

...東求堂は、年2回、春、秋の特別拝観日の時しか拝観できません、まだ拝観したことのない人、拝観日を確認してから、是非訪れてみてください...絶対お勧めです...

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