京都御所
2023/11/20
京都御所に行って来ました。この時季に限って予約なしで拝観できるという情報を得て急遽段取りをつけて行って来ました。朝9時30分と10時30分スタートの2回だけ説明付きで、拝観できます。9時30分スタートで拝観して来ました。すごく良かったです。先回、桂離宮を拝観して来たので、後2つ、仙洞御所と修学院離宮は、来年に必ず拝観したいと思っています。
京都御所は、明治維新まで天皇のお住まい(古くは内裏という)であり、天皇が奈良の平城京より長岡京(京都府)を経て、延暦13年(794)に平安京に都を移されたのが始まりです。現在の京都御所の場所は土御門東洞院殿といわれた里内裏の一つで、元弘元年(1331)光厳天皇がここで即位をされて以降、明治2年(1869)に明治天皇が東京に移られるまでの約500年間、天皇のお住まいとして使用されました。この間も幾度となく火災に遭い、その都度再建が行われ、当初は現在の敷地の半分以下であったが、豊臣秀吉や徳川幕府による造営により敷地は次第に拡張されました。建築様式や全体構成は時代と共に変化をしていったが、天明8年(1788)の焼失による再建時には、江戸幕府の老中松平定信を総奉行とし、有職故実家の裏松固禅(光世)らの考証により、平安の古制に則った紫宸殿や清涼殿、その他の御殿が寛政2年(1790)に建造されました。しかし、この内裏も嘉永7年(1854)に焼失し、翌安政2年(1855)には寛政時の内裏がほぼそのままの形で再建されました。これが現在の京都御所です。この御所は、孝明天皇及び明治天皇の日々のご生活や数々の宮中の年中行事に加え、幕末期の王政復古の大号令、小御所会議、5箇条の御誓文の発布、明治.大正.昭和の天皇の即位の礼が行われた歴史的な舞台となった場所です。
現在の京都御所は築地塀に囲まれた南北約450m、東西約250mの方形で、面積は約111万㎡である。敷地内では、古代以来の日本宮殿建築の歴史と文化が見られると同時に、廻遊式庭園の御池庭、献上の石や灯籠を配した御内庭など、木々や花など季節の変化も楽しめるものとなっています。(京都御所ガイドブックより)
京都御所は、明治維新まで天皇のお住まい(古くは内裏という)であり、天皇が奈良の平城京より長岡京(京都府)を経て、延暦13年(794)に平安京に都を移されたのが始まりです。現在の京都御所の場所は土御門東洞院殿といわれた里内裏の一つで、元弘元年(1331)光厳天皇がここで即位をされて以降、明治2年(1869)に明治天皇が東京に移られるまでの約500年間、天皇のお住まいとして使用されました。この間も幾度となく火災に遭い、その都度再建が行われ、当初は現在の敷地の半分以下であったが、豊臣秀吉や徳川幕府による造営により敷地は次第に拡張されました。建築様式や全体構成は時代と共に変化をしていったが、天明8年(1788)の焼失による再建時には、江戸幕府の老中松平定信を総奉行とし、有職故実家の裏松固禅(光世)らの考証により、平安の古制に則った紫宸殿や清涼殿、その他の御殿が寛政2年(1790)に建造されました。しかし、この内裏も嘉永7年(1854)に焼失し、翌安政2年(1855)には寛政時の内裏がほぼそのままの形で再建されました。これが現在の京都御所です。この御所は、孝明天皇及び明治天皇の日々のご生活や数々の宮中の年中行事に加え、幕末期の王政復古の大号令、小御所会議、5箇条の御誓文の発布、明治.大正.昭和の天皇の即位の礼が行われた歴史的な舞台となった場所です。
現在の京都御所は築地塀に囲まれた南北約450m、東西約250mの方形で、面積は約111万㎡である。敷地内では、古代以来の日本宮殿建築の歴史と文化が見られると同時に、廻遊式庭園の御池庭、献上の石や灯籠を配した御内庭など、木々や花など季節の変化も楽しめるものとなっています。(京都御所ガイドブックより)